笹子峠は、山梨県大月市と甲州市の境に位置する標高1,096メートルの峠で、古くから交通の要所として知られてきました。特に江戸時代には甲州街道の最大の難所とされ、多くの旅人や大名、武士たちがこの峠を越えて行き来しました。現在は旧甲州街道の歴史を感じることができる場所として、ハイキングや歴史散策の観光スポットとなっています。
甲州街道は江戸時代の五街道の一つで、江戸日本橋を出発し、内藤新宿、八王子、甲府を経て下諏訪で中山道に合流する重要な街道でした。その街道の途中にある笹子峠は、黒野田宿と駒飼宿の間に位置し、急な山道が続くことから「甲州街道第一の難所」と呼ばれていました。
この峠を境に、甲斐国は東側の郡内地方と西側の国中地方に分けられ、文化や人々の往来にも大きな影響を与えていました。多くの旅人がこの峠を越え、峠には茶屋や休憩所も設けられていたといわれています。
明治時代になると道路整備が進み、1880年(明治13年)には明治天皇が山梨巡幸の際に笹子峠を通り、峠の近くの茶屋で休憩をされたと伝えられています。この場所には後に「明治天皇御野立所跡」の石碑が建てられ、現在も歴史を伝える場所として残されています。
その後、1920年(大正9年)に旧道路法が施行され、甲州街道は国道に指定されましたが、笹子峠を通るルートではなく別の峠を通る道路が国道となったため、笹子峠の道は県道となりました。
1938年(昭和13年)には笹子峠の下を通る笹子隧道が開通し、さらに1958年(昭和33年)には全長約3キロメートルの新笹子隧道が完成しました。これにより国道20号はトンネルを通るルートとなり、峠道は主な交通路ではなくなりました。現在の峠道は山梨県道212号日影笹子線となっています。
笹子峠の途中には、山梨県指定天然記念物である矢立の杉があります。この杉は樹齢1000年ともいわれ、戦国時代に武士が戦勝祈願として矢を射たことからその名が付けられたと伝えられています。
江戸時代には甲州街道の名所として有名になり、旅日記や紀行文にも多く登場しました。また、浮世絵師の葛飾北斎や歌川広重の作品にも描かれるなど、歴史的にも文化的にも価値の高い場所となっています。
現在の笹子峠周辺は旧甲州街道のハイキングコースとして整備されており、歴史ある峠道を歩くことができます。大月側からは黒野田宿を通り、山道と県道を行き来しながら矢立の杉や笹子隧道を経て峠へと向かいます。
峠の頂上付近では登山道が分かれており、周辺の山へ登ることもできます。甲州側へ下ると沢沿いの道を通り、昔の街道の雰囲気を感じながら歩くことができます。現在通行できない旧道もありますが、県道を利用して宿場町方面へ向かうことができます。
現在の笹子峠は、国道20号のトンネルが主要道路となっているため、車の通行量は少なく、静かな山道となっています。道路の勾配は5~6%程度で比較的走りやすく、ドライブやサイクリングのコースとしても知られています。
周辺には民家も少なく、山や沢など自然が多く残っているため、四季折々の景色を楽しむことができます。特に新緑や紅葉の時期は景色が美しく、歴史ある街道と自然を同時に楽しめる場所となっています。
笹子峠は地理的にも文化的にも境界となる場所でした。峠の西側の国中地方は甲府盆地を中心とした地域で中部地方との結びつきが強く、東側の郡内地方は関東地方との結びつきが強い地域でした。このように、笹子峠は単なる山の峠ではなく、地域文化の境界でもあったのです。
現在では歴史の峠道として、多くの人がハイキングや歴史散策に訪れています。甲州街道の歴史、旅人の足跡、自然の風景を感じながら歩くことができる笹子峠は、山梨県大月市と甲州市を代表する歴史観光スポットの一つです。