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柏尾山経塚

(かしおさん きょうづか)

山梨県甲州市勝沼町勝沼にある柏尾山経塚は、平安時代末期に造られた重要な経塚群です。この遺跡は「白山平経塚」や「柏尾白山平経塚」とも呼ばれ、歴史的・文化的な価値を有しています。

立地と地理的・歴史的景観

地理的特徴

柏尾山経塚は標高620メートルの柏尾山山頂「白山平」に位置し、甲府盆地東部を一望できる場所にあります。この立地は古くから霊地とされており、西には古代の在庁官人である三枝氏の氏寺、大善寺があります。これらの地理的条件が、柏尾山が信仰の場として選ばれた理由の一つと考えられます。

発掘調査と出土遺物

発見の経緯

柏尾山経塚は、1962年に東京電力柏尾発電所の導水管埋設工事中に偶然発見されました。その後、郷土史家の上野晴朗による現地調査が行われ、南北1メートル程度の間隔で6基の経塚が並んでいることが確認されました。

経塚の構造

経塚は地表70センチメートル下に土坑があり、自然石で作られた小石室を形成しています。それぞれの経塚からは以下のような遺物が発見されました:

他にも、鉄製刀剣、木製経軸、ガラス製や木製の玉類などが発見され、これらの遺物は東京国立博物館や山梨県立博物館に収蔵されています。

康和5年在銘経筒と経塚造営の背景

東日本最古の経筒

出土遺物の中でも特に注目されるのが、康和5年(1103年)の在銘経筒です。この経筒は東日本最古の記録を持つ遺物であり、国の重要文化財に指定されています。現在は東京国立博物館に所蔵され、山梨県立博物館ではそのレプリカが展示されています。

経筒の詳細

高さ29センチメートル、身口径17.5センチメートルの大型銅製経筒で、蓋部分には和漢混淆文で39字の銘文が刻まれています。さらに筒身には、発願から埋納までの経緯を記した詳細な銘文が彫られています。

造営の背景と関連人物

銘文によれば、僧・寂円が弥勒信仰に基づき経塚造営を発願し、法華経8巻を写経しました。関係人物としては、甲斐国司・藤原基清や三枝氏が名を連ねており、天台宗勢力の影響や甲斐国の古代信仰の広がりがうかがえます。

古代甲斐国への影響

信仰と地域社会

経塚造営を通じて、古代甲斐国の宗教的活動や文化的背景が明らかになりました。特に、寂円の遍歴僧としての活動や三枝氏の大檀那としての役割は、地域社会に深い影響を与えたと考えられます。

現代への継承

出土した経筒やその他の遺物は、現在も研究や展示を通じてその価値が認識されています。これらは、平安時代末期の信仰や文化を理解する上で重要な手がかりを提供しています。

Information

名称
柏尾山経塚
(かしおさん きょうづか)

勝沼・石和温泉

山梨県