山梨県 » 勝沼・石和温泉

石和八幡神社(国衙八幡宮)

(いさわ はちまん じんじゃ)

石和八幡神社は、山梨県笛吹市石和町市部に所在する由緒ある神社です。旧村社に指定され、別称として「国衙八幡宮」や「石和八幡宮」とも呼ばれています。

神社の概要

石和八幡神社は甲府盆地の北縁、笛吹川と鵜飼川に囲まれた平坦地に位置しています。この地域は古くから歴史的な重要性を持ち、中世には石和御厨の中心地でした。また、甲州街道や鎌倉街道が交差する交通の要衝であり、石和宿や石和代官所が置かれるなど、多方面で発展を遂げてきました。

祭神

石和八幡神社の祭神は以下の三柱です:

歴史と由緒

創建と古代の背景

『甲斐国社記・寺記』によれば、石和八幡神社は成務天皇5年に創建され、当初は「物部神社」として朝廷からも尊崇を受けました。神社の所在地である市部地区は、甲府盆地北部の政治・交通の要地として発展しました。

中世における発展

鎌倉時代には、甲斐源氏の一族である武田信光(石和五郎)が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請し、八幡信仰が当地に根付きました。当時、石和八幡神社は武田氏の氏神として信仰され、甲斐国内の信仰の中心地となりました。

甲斐国には石和八幡神社のほかに、韮崎市の武田八幡宮や山梨市の大井俣窪八幡神社など、同様に源氏に縁の深い八幡神社が存在します。

戦国時代から江戸時代への変遷

戦国時代には、武田信虎が甲府の開府に際して当社を勧請し、甲府に府中八幡宮を創建しました。永禄4年(1561年)には甲斐国内の主要神社として、府中八幡宮への参勤が命じられました。

武田氏の滅亡後、織田信長の焼き討ちにより衰退しましたが、徳川家康により新たに社領が安堵され、その後も歴代の甲斐国主から尊崇を受けました。

祭祀と神事

水難除神事

石和八幡神社では、毎年4月3日に水難除神事が行われます。この神事は地域住民からも広く親しまれ、水難除けの祈りを込めた重要な行事です。

周辺の史跡と関連情報

武田信光の屋敷跡

石和八幡神社周辺には、甲斐守護武田信光の屋敷跡が残されています。この史跡は、神社の歴史と密接に結びついた重要な文化財です。

他の八幡神社との関連性

石和八幡神社は、武田八幡宮や大井俣窪八幡神社と並び、甲斐国における八幡信仰の中心として発展しました。これらの神社は、地域の歴史と文化を象徴する重要な存在です。

Information

名称
石和八幡神社(国衙八幡宮)
(いさわ はちまん じんじゃ)

勝沼・石和温泉

山梨県