福光園寺は、山梨県笛吹市御坂町大野寺に位置する真言宗智山派の寺院です。 山号は「大野山」、本尊は不動明王として信仰されています。平安時代からその歴史を持つ古刹で、 地域の文化と歴史を象徴する重要な存在です。
福光園寺は、甲府盆地の南東端にあたる笛吹市御坂町大野寺に位置しています。周囲は桃を中心とした果樹園が広がる自然豊かな傾斜地で、南側には御坂山地が接しています。 古代には「八代郡」と呼ばれ、近隣には瑜伽寺や九品寺、智光寺といった古代創建の寺院が点在しています。
創建時期は明確ではありませんが、古くは「駒岳山大野寺」と呼ばれていました。平安時代後期の保元2年(1157年)、大野重包(対馬守)によって再興され、 賢安を中興開山としています。また、福光園寺には「甲斐の黒駒伝承」という興味深い伝説が残されています。
この伝承では、聖徳太子が「黒駒」と呼ばれる馬に乗り、富士山頂に達したとされています。この物語は、『日本書紀』や『続日本紀』にも記されており、 山梨県内で広く知られています。福光園寺の裏山はかつて黒駒牧であったと伝えられており、地域の歴史的背景を垣間見ることができます。
福光園寺は毎日9時から17時まで拝観が可能です。訪れる際には、寺院の歴史や文化財をじっくり堪能することができます。
福光園寺に伝わる木造吉祥天及び二天像は、1983年(昭和58年)に国の重要文化財に指定されています。吉祥天像を中心に、左右に持国天と多聞天が配置された珍しい構成です。
この像は、木造彩色で檜材の寄木造。中尊である吉祥天像の像高は108.8センチメートル、持国天像は116.8センチメートル、多聞天像は118.7センチメートルです。 墨書銘から、鎌倉時代の寛喜3年(1231年)に仏師・蓮慶によって制作されたことがわかっています。
『甲斐国志』によると、福光園寺が再興された際には石造吉祥天像が存在していたとされ、その後寛喜2年に木造吉祥天像が制作されました。 蓮慶は鎌倉前期の著名な仏師であり、甲州市の大善寺に伝来する十二神将像なども彼の作品とされています。
福光園寺周辺には、古代寺院や御坂山地、果樹園など魅力的な観光スポットが多数あります。歴史と自然を堪能できるこのエリアは、訪れる価値が十分にあります。
福光園寺は車や公共交通機関でアクセス可能です。周辺には駐車場も整備されており、観光に便利な立地となっています。