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栗原宿

(くりばらしゅく)

栗原宿は、山梨県山梨市下栗原に位置する歴史ある宿駅です。甲州街道の宿駅として知られ、別称「下栗原宿」とも呼ばれます(『甲斐国志』に記述あり)。

概要

栗原宿が所在する下栗原村は、甲府盆地の北東に位置し、笛吹川の支流である日川・重川に挟まれた平坦地にあります。西には歌田村(現在の山梨市歌田)、南には日川を挟んで八代郡小城村(現在の笛吹市一宮町小城)が隣接しています。

地理的特徴と交通の要衝

『甲州道中分間延絵図』には宿の様子が描かれ、栗原宿は笛吹川沿いに北上する秩父往還や、小原西分村で秩父往還から分岐する青梅往還が交差する場所に位置します。こうした地理的条件から、栗原宿は交通の要衝として発展しました。江戸から32里22町(約127キロメートル)の距離にあり、東の勝沼宿からは31町36間(約3.4キロメートル)、西の石和宿へは1里20町30間(約6.1キロメートル)の距離に位置しています(天保14年(1843年)『宿村大概帳』による)。

宿の構造と歴史

宿の広がりと町並み

下栗原村を通過する往還は12町12間半にわたりますが、宿内の町並みは6町ほどに広がっています。栗原宿の成立時期は明確ではないものの、勝沼宿などが新たに宿駅として整備された元和4年(1618年)に栗原宿も開設されたと考えられています。加宿には歌田村と小城村が指定されており、宿駅としての役割を担ってきました。

宿内の施設

天保14年(1843年)時点で、栗原宿内の家数は加宿である歌田・小城両村を含めて240軒、総人口は1057人と記録されています。また、本陣が1軒、脇本陣が1軒設けられており、宿駅としての基本的な機能を備えていました。人馬継立を担う問屋が1カ所あり、問屋1人、年寄4人、馬指1人が常時宿に詰めていました。特に、大通行が発生する際には全員で対応していました。

宿内の中心施設

宿の中央に位置する中町には、本陣や脇本陣があり、その向かいには高札場も存在していました。こうした施設は、宿場町としての栗原宿の中心的な役割を果たしていました。

助郷と宿の役割

助郷制度と助郷村

栗原宿には、宿駅を支える助郷制度が適用されていました。宝永2年(1705年)の引渡目録によると、栗原宿の助郷は上石森村、中村、歌田村、下石森村、小城村、北都塚村、南田中村、下矢作村の8か村に割り当てられていました。このような助郷村が宿駅を支え、人や物資の往来を助けていたのです。

栗原宿の茶屋と旅籠

十返舎一九による文政元年(1818年)の作品『金草鞋』では、栗原宿の茶屋が描かれており、その風情が伺えます。また、文政10年(1827年)に出版された『諸国道中商人鑑』には、栗原宿には4軒の旅籠が存在していたとされています。これらの茶屋や旅籠は、宿泊や休憩を提供する場として、多くの旅人に利用されていたことがわかります。

栗原宿の歴史的意義

栗原宿は、甲州街道の宿駅として、江戸時代の交通や物流を支える重要な拠点でした。また、周囲の自然や地形を活かし、多くの人々が行き交う場所として栄え、旅人や商人にとって欠かせない存在でした。栗原宿に残る茶屋や旅籠の記録は、当時の人々の生活や文化を垣間見ることができる貴重な資料です。

Information

名称
栗原宿
(くりばらしゅく)

勝沼・石和温泉

山梨県