玉諸神社は、山梨県甲州市と甲府市にそれぞれ鎮座する神社で、いずれも古代から信仰を集めてきた歴史的な神社です。
玉諸神社は、式内社に論社として記載される由緒ある神社で、旧社格は郷社に指定されています。主祭神は「天羽明玉命(あめのはのあけたまのみこと)」ですが、「天明玉命」や「玉屋命」と記載されることもあります。
創建の時期は不詳ですが、周辺地域が古くから石英(クォーツ)の産地であったことから、玉類の信仰に由来する神社と考えられています。社伝によれば、かつて高さ7尺、周囲6尺8寸の水晶の玉が神体として祀られ、この神体が神社名の由来とされています。
この水晶の玉は明治時代初期に盗難に遭い、現存していませんが、その信仰は今もなお受け継がれています。
玉諸神社は甲斐国の三宮としての地位を有しており、地域の重要な信仰の拠点でした。また、祭神は大国玉大神であり、農業や収穫に関する神として信仰されています。
『和名抄』には「玉井郷」との記述が見られ、石英の産地としての重要性がうかがえます。また、玉類の加工や信仰がこの地域の文化に深く根付いていたと考えられています。
中世には武田氏が信仰を深め、社殿の造営などが行われましたが、天正10年(1582年)の武田氏滅亡時に焼失しました。その後、徳川氏により保護を受け、江戸時代には神領として朱印地が安堵されました。
大正11年(1922年)、近代社格制度において県社に列せられました。平成16年には本殿と拝殿が新たに造営され、現在も地域の信仰の中心として多くの参拝者を集めています。
毎年4月に行われる大御幸祭は、玉諸神社の最も重要な祭礼のひとつです。この祭りでは、一の宮(笛吹市の浅間神社)から神輿が出発し、二の宮(美和神社)、玉諸神社を経由して三社神社で神事が執り行われます。
この祭りは水防祭としての側面も持ち、地域住民にとって重要な行事となっています。
本殿と拝殿は平成16年に再建されたもので、近代的な造りながらも古社の風格を保っています。
本宮の北東約600メートルの竹森山(水晶山)中腹に奥宮が鎮座しています。この場所は、かつて水晶の玉が埋められていたとされる神聖な場所です。
竹森山のふもとではザゼンソウの群生地があり、春には多くの自然愛好家が訪れます。また、地域の文化や歴史を感じられる風景が広がっています。
玉諸神社はJR中央本線「酒折駅」から徒歩約10分とアクセスが良く、観光のついでに立ち寄りやすい場所に位置しています。
玉諸神社は、その歴史的価値や祭礼を通じて地域の文化と信仰を支えてきました。石英にまつわる伝承や御幸祭など、訪れる人々に豊かな歴史と伝統を感じさせる魅力的な神社です。