山梨県山梨市にある神社「大井俣窪八幡神社」は、地元では「窪八幡神社」とも呼ばれ、多くの参拝者が訪れる歴史ある神社です。
大井俣窪八幡神社は、古代から地域に根差した信仰の場として知られています。最初は「大井俣神社」と称されていましたが、後に現在の「窪」に移されたことから「窪八幡神社」と呼ばれるようになりました。社殿や文化財の多くが、甲斐国守護である武田氏の関わりにより築かれたもので、今もその壮麗さが見て取れます。
大井俣窪八幡神社は、清和天皇の勅願によって貞観元年(859年)に宇佐八幡宮から勧請され創建されました。最初は笛吹川の中州である「大井俣の地」に建てられましたが、後に現在の場所に移されました。周囲には「八幡郷」と呼ばれる地域が形成され、中世には武田氏の崇敬を集める場所となりました。
永正13年(1516年)には、駿河国の今川氏が甲斐国内に侵攻し、この戦火により社殿の多くが焼失しました。その後、甲斐守護武田信満や武田信虎によって再建が行われ、現在の本殿は応永17年(1410年)に信満が再建したものとされています。社殿の建築様式は周辺の天神社本殿と共通する点が多く、両社が古代条里制を利用した中軸線で結ばれています。
『王代記』には、天文12年(1543年)や天文20年(1551年)に「一ノ堰」から用水が引かれた記録が残っており、この用水は神社境内だけでなく、近隣の村々にも水を供給していました。これは甲斐国の名君とされる武田信玄の治水事業の一環と考えられ、地域に多大な貢献を果たしました。
大井俣窪八幡神社の本殿は、永正16年(1519年)に武田信虎によって再建されました。現在もその美しい姿を保ち、国の重要文化財に指定されています。また、建築様式には禅宗様式が取り入れられており、当時の精巧な技術が伺えます。
窪八幡神社の境内には若宮八幡神社のほか、武内大神、高良神社、比咩三神を祀る末社があり、いずれも歴史的価値が高く、昭和24年に文化財指定を受けています。これらの末社は、本殿と共に壮麗な境内を形成しており、地域の人々の信仰を支え続けてきました。
神門の前には小川に架かる石橋があり、天文4年(1535年)に高遠石工によって造られたもので、花崗岩で作られた反勾欄付きの橋です。戦国時代における石工技術の粋が詰まったこの石橋は、当時の職人の技術と美意識を今に伝えています。
神社には天文年間に造られた3組の木造狛犬があり、昭和56年に山梨県指定文化財として指定されています。これらの狛犬は、天文17年(1548年)、永禄8年(1565年)、永禄11年(1568年)の年代が記されており、戦国時代の武士階級における信仰が反映された貴重な作品です。
大井俣窪八幡神社へのアクセス方法は以下の通りです。
最寄りの駅はJR中央本線の東山梨駅で、駅から徒歩で約15分の距離です。また、周辺には観光施設もあり、散策が楽しめるエリアとなっています。
神社の近隣には駐車場も完備されており、車でのアクセスも便利です。県道や国道を利用し、アクセスすることができます。
大井俣窪八幡神社は、山梨市の歴史と文化を象徴する重要な神社であり、その美しい境内と文化財の数々は、多くの参拝者や観光客を引きつけます。武田信玄をはじめとする歴史上の人物との関わりや、戦国時代の建築技術が今も残るこの場所で、歴史と信仰が融合した日本の文化を感じることができます。