天目山は山梨県甲州市大和町木賊及び同町田野に位置し、標高1,380mの山です。この地は歴史的な背景と美しい自然が調和した観光地として知られています。 もともと「木賊山(とくさやま)」と呼ばれていましたが、山中に創建された棲雲寺の山号から「天目山」に改称されました。
元来、木賊村の名称から「木賊山」と呼ばれていましたが、南北朝時代の1348年(貞和4年/正平3年)、禅僧・業海本浄がこの地を訪れた際、中国元の天目山に似ているとして「天目山護国禅寺」を建立しました。 この寺が現在の棲雲寺であり、その後、山全体が「天目山」と呼ばれるようになりました。
天目山は、甲斐武田氏の歴史において重要な役割を果たした場所です。武田氏はこの地で2度の滅亡を経験しています。
応永24年(1417年)、室町幕府の命令を受けた上杉憲宗の侵攻により、甲斐守護武田信満がこの地で自害しました。この事件は『鎌倉大草紙』に詳しく記されています。 信満の墓や自害した家臣たちの五輪塔は現在も棲雲寺に残されています。
天正10年(1582年)、織田信長・徳川家康連合軍の侵攻と小山田信茂の謀反により、武田勝頼が家族とともに天目山麓で自害しました。この出来事は『甲斐国志』や『信長公記』に記録されています。 勝頼の菩提を弔うために建てられた景徳院では、勝頼親子の墓や辞世の句が刻まれた石碑を見ることができます。
棲雲寺は天目山の象徴的な寺院であり、歴史的な遺跡や自然に触れることができます。武田信満の墓や宝篋印塔など、多くの史跡が残されています。
武田勝頼の菩提を弔うために徳川家康が建てた寺院です。墓や辞世の句が刻まれた石碑があり、武田氏滅亡の悲劇を偲ぶことができます。
天目山周辺は豊かな自然に囲まれ、ハイキングや散策に最適です。春には桜が咲き乱れ、美しい景観を楽しむことができます。
山梨県甲州市大和町木賊及び田野
中央本線の初鹿野駅から東に約2里(約8km)の距離に位置しています。車や公共交通機関でのアクセスが可能です。
天目山周辺には観光客向けの飲食店や宿泊施設が整備されています。地域の特産品を楽しむこともできます。
天目山は、歴史と自然が融合した魅力的な観光地です。武田氏滅亡の地としての歴史的意義を学びながら、美しい自然を楽しむことができます。歴史好きの方や自然を愛する方にとって、訪れる価値のある場所と言えるでしょう。