岩殿山城は、山梨県大月市にある岩殿山の山頂付近に築かれた山城で、戦国時代に重要な役割を果たした城として知られています。標高634メートルの岩殿山の険しい地形を利用して築かれた天然の要害であり、現在は城跡として登山や歴史散策を楽しめる観光地となっています。
岩殿山は桂川と葛野川が合流する地点の西側に位置し、大月市街地のすぐ近くにそびえる岩山です。山頂付近の南側には鏡岩と呼ばれる大きな岩壁があり、高さ約150メートルの絶壁が続いています。この険しい地形そのものが天然の城壁となり、岩殿山城は非常に守りの堅い山城として知られていました。
城は東西に長い岩山の地形をそのまま利用して築かれており、敵が近づくことのできる道も限られていました。道は狭く険しいため、大軍で攻めることが難しく、東国の城の中でも屈指の堅固な城といわれていました。
岩殿山城の山頂付近には、本丸、馬場、蔵屋敷、揚城戸、亀ヶ池などの地名が現在も残っており、城の遺構も比較的良好な状態で残されています。特に「揚城戸跡」は、巨大な自然石を利用して城門を狭く築き、敵の侵入を防ぐための防御施設であったと考えられています。
山城は平地の城とは違い、大きな建物を建てる場所が少ないため、曲輪や通路は狭く、地形を最大限に利用した防御中心の城となっていました。岩殿山城もまさにその典型的な山城であり、自然の地形を利用した城郭構造を学ぶうえでも貴重な史跡です。
岩殿山城は、甲斐国都留郡の国衆であった小山田氏の居城、または重要な支城であったと考えられています。甲斐の武田氏と、相模の北条氏や駿河の今川氏との戦いの際には、国境を守る軍事拠点として重要な役割を担っていました。
特に有名なのが、天正10年(1582年)の武田氏滅亡の際の出来事です。武田勝頼は織田信長・徳川家康の連合軍に攻められ、岩殿山城へ逃れて籠城しようとしましたが、城主であった小山田信茂が離反したため、岩殿山城へ入ることができませんでした。その後、勝頼は天目山で自害し、武田氏は滅亡しました。岩殿山城はこの歴史の舞台となった城として知られています。
江戸時代になると戦のための城としての役割は終わりましたが、岩殿山は依然として重要な場所と考えられていました。江戸幕府を開いた徳川家康は、万が一江戸に危機があった場合には甲府へ退くことを考えていたとされ、その際の要塞の一つとして岩殿山城も意識されていたといわれています。
また岩殿山には円通寺という寺院があり、修験道の修行の場としても知られていました。山中には七社権現洞窟などの信仰に関わる場所も残っており、城跡であると同時に信仰の山でもありました。
岩殿山の中腹には「七社権現洞窟」と呼ばれる大きな岩の洞窟があります。かつてはこの洞窟に七社権現の像が祀られていたといわれ、現在でも神聖な場所として知られています。岩に囲まれた洞窟は神秘的な雰囲気があり、パワースポットとして訪れる人もいます。
登山口から徒歩約30分ほどで到着するため、山頂まで登らなくても訪れることができる見どころの一つです。
岩殿山は登山コースとしても人気があり、大月駅から徒歩で登山口まで行くことができ、山頂までは約1時間ほどで登ることができます。山頂からは富士山を望むことができ、秀麗富嶽十二景や関東の富士見百景にも選ばれています。
また、岩殿山の周辺には「稚児落とし」と呼ばれる断崖絶壁の景勝地もあり、岩殿山と合わせてハイキングコースとして楽しむことができます。
ただし、過去の台風や崩落の影響により、現在は一部の登山道が通行止めとなっている場合もあるため、登山の際には事前に通行状況を確認することが大切です。
岩殿山城は、険しい岩山の地形を利用して築かれた戦国時代の山城で、東国でも屈指の堅固な城として知られていました。武田氏滅亡に関わる歴史の舞台にもなった重要な城であり、歴史的価値の高い史跡です。
現在は城跡として遺構が残り、登山やハイキングを楽しみながら歴史を感じることができる観光地となっています。山頂からの富士山の眺めや断崖絶壁の景観など、自然と歴史の両方を楽しめる魅力的な場所です。大月を訪れた際には、猿橋とあわせて訪れたい歴史スポットの一つです。