長禅寺は、山梨県甲府市にある臨済宗系の単立寺院で、甲府五山の一つに数えられる寺院です。他には東光寺、能成寺、円光院、法泉寺があり、歴史と文化の深い場所として知られています。
長禅寺は、甲府市の中央部、愛宕山の南麓に位置しており、武田氏が築いた城下町の一部に含まれています。この寺は、戦国時代には武田信玄の菩提寺として重要な役割を果たしました。また、甲府城の東部に隣接し、参道は周辺の主要な街道とも結ばれており、交通や流通の拠点としても機能していました。
長禅寺の前身は、甲府盆地西部に位置する古長禅寺であり、大井氏の菩提寺として建てられました。大井氏は甲斐国の国人領主であり、長禅寺はその一族にとって深い結びつきのある寺院でした。1316年(正和5年)には、臨済宗の僧である夢窓疎石によって真言宗から臨済宗に改宗され、臨済宗の布教の拠点となりました。
戦国時代において、長禅寺は武田氏とも強い結びつきがありました。特に、武田信虎の正室である大井夫人は大井氏の娘であり、信玄(晴信)をはじめとする子供たちを産みました。信玄は母である大井夫人を敬い、彼女の菩提を弔うために甲府に寺を移転させました。信玄は臨済宗を深く信仰しており、甲府五山を定める際には長禅寺を第一位としました。
長禅寺の創建年代については諸説あります。『甲斐国志』によると、天文21年(1552年)に大井夫人が死去した際に創建されたとされており、別の史料では永禄年間(1558年 - 1570年)とされています。また、長禅寺の移転後、古長禅寺は現在の南アルプス市にそのまま残されています。
長禅寺には重要な文化財が所蔵されています。その中でも、戦国時代に関わる武田氏や大井夫人にまつわる貴重な美術品が数多く保存されています。
この肖像画は、武田信玄の生母である大井夫人(瑞雲院殿)を描いたもので、戦国時代・天文22年(1553年)に彼女の一周忌を機に描かれたものです。作者は信玄の弟である武田信廉で、彼の初期の作品とされています。大井夫人の姿が法体(比丘尼)として描かれ、上部には彼女が詠んだ和歌が記されています。
この作品は、室町時代の「渡唐天神像」として山梨県指定の文化財に指定されています。この天神像は人間らしい表情を持ち、ふっくらとした顔立ちが特徴です。作者は信廉とされ、狩野元信の影響が見られる作風です。
長禅寺の周辺には、観光スポットや歴史的な名所も多くあります。甲府城跡や武田神社など、甲斐国の歴史を感じられる場所が点在しており、長禅寺を訪れる際にはこれらの名所を巡ることでさらに深い歴史の理解が得られるでしょう。
長禅寺へのアクセスは、甲府市の中心部に位置しているため、公共交通機関を利用するのが便利です。最寄り駅から徒歩圏内にあり、駐車場も備えているため、観光には非常に適した立地となっています。
長禅寺は甲府五山のひとつとして、戦国時代の歴史や武田氏と深く結びついた由緒ある寺院です。文化財としても価値の高い美術品が数多く残されており、歴史や美術に興味のある方にとって必見のスポットです。また、甲府の観光名所の一つとしても、多くの人々に親しまれています。