甲斐奈神社は、山梨県甲府市と笛吹市に3社ある神社で、いずれも「甲斐奈」という社名を持っています。これらは「延喜式神名帳」に「甲斐国山梨郡 甲斐奈神社」と記載された式内社の論社とされています。それぞれ、独自の歴史や祭神を持ち、甲斐国の総社としての地位も推測されています。
山梨県内にある3社の甲斐奈神社の所在地と特徴を以下にご紹介します。
山梨県笛吹市春日居町国府に位置する甲斐奈神社は、甲斐国四宮とされ、甲斐国総社の論社とされています。歴史ある社格は旧村社で、主祭神に彦火火出見尊、大己貴命が祀られています。この地域は国府があったとされる推定地の1つで、神社の名称にある「守ノ宮(しゅのみや)」や「守宮大明神」という別称も伝わっています。
鎮座地周辺には、かつて甲斐国の国府があったと考えられています。江戸時代には、徳川家光より社領8石が与えられ、神社としての地位が確立されました。また、国府跡は未発見ですが、周辺地域が古くからの拠点であったことは周辺の遺跡や地名から推測されています。
境内には拝殿と本殿が配置され、風格ある造りとなっています。周辺には「寺本廃寺」や「八田家書院」などの文化遺産も点在しており、歴史を感じることができるスポットです。
所在地: 山梨県笛吹市春日居町国府361
最寄駅: JR中央本線 石和温泉駅または春日居町駅(徒歩約20分)
笛吹市一宮町橋立に位置する甲斐奈神社は、甲斐国総社論社とされ、主祭神には国常立尊(くにとこたちのみこと)、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)が祀られています。江戸時代には「神祖明神」や「林部宮」などの別称でも知られていました。
この神社は、天正10年(1582年)に起きた天正壬午の乱の影響を受け、北条氏直と徳川家康の甲斐への侵攻により神社が一度焼失しました。その後、江戸時代に再建され、村社としての格が与えられました。また、境内にはかつて「橋立大杉」という名木が存在しましたが、現在はその跡に石碑が建てられています。
境内には、拝殿や本殿、大杉跡、神楽殿、随身門などが点在しており、歴史の風格を感じさせる佇まいとなっています。摂末社もいくつか鎮座し、豊かな自然と共に歴史的な雰囲気を楽しめる場所です。
所在地: 山梨県笛吹市一宮町橋立84
最寄駅: JR中央本線 石和温泉駅(徒歩約20分)
甲府市中央にある甲斐奈神社は、古くは「白山権現」や「白山神社」として知られ、現在も主祭神として菊理姫命、木花咲耶姫命が祀られています。永正年間(1504年-1520年)には武田信虎によって移設され、現在の場所に鎮座しています。
この神社は、元々甲府市北方の愛宕山(別名「甲斐奈山」)の山頂に鎮座していましたが、戦国時代に武田信虎によって現在の場所に移されました。その後、文禄年間(1592年-1596年)には東青沼から浅間神も合祀され、さらに現在の甲斐奈神社としての名称は慶応4年(1868年)から使用されています。
甲府市の甲斐奈神社には、拝殿や本殿があり、神社建築の美しさが見どころです。現在も地域の人々の信仰を集める神社として、多くの参拝者に親しまれています。
所在地: 山梨県甲府市中央3-7-11
最寄駅: JR身延線 金手駅(徒歩すぐ)、または甲府駅(徒歩約15分)
甲斐奈神社は、甲斐国において歴史的・文化的に重要な役割を果たしてきました。「甲斐奈」という社名は「甲斐の」を意味するとも考えられ、古くから甲斐国の総社としての地位を持っていた可能性があります。しかし、総社機能は戦国時代に甲府に建てられた府中八幡宮へと移行していきました。論社についても『甲斐国志』などで議論が続いており、皇學館大学の『式内社調査報告』でも結論を出すことは難しいとされています。
各神社の周辺には歴史や文化を感じられるスポットが多くあります。笛吹市には、甲斐一宮として名高い浅間神社や、国分寺跡、国分尼寺跡が残っており、古代からの甲斐国の中心地であったことを感じさせます。また、甲府市の甲斐奈神社の周辺には、観光や散策を楽しむのに適した施設が多くあり、歴史と自然の両方を満喫できるエリアです。
各神社へのアクセスはそれぞれ異なりますが、公共交通機関でのアクセスが良好です。JR石和温泉駅、春日居町駅、甲府駅などから徒歩で訪れることが可能で、車での訪問も便利な立地にあります。
甲斐奈神社は、甲斐国において長い歴史を持つ神社であり、地域の文化や信仰の象徴として存在してきました。3つの社それぞれが異なる歴史と背景を持ちながらも、甲斐奈神社としての名を共有し、現在も参拝者を迎え続けています。これらの神社は、山梨県内の観光スポットとしても魅力的で、訪れる人々に甲斐の歴史と文化の深さを感じさせてくれることでしょう。