永源寺は、山梨県中央市下河東に位置する曹洞宗の寺院で、山号は「豊田山」と称されます。本尊は釈迦如来で、甲斐百八霊場の第50番札所に指定されています。歴史ある寺院であり、平安時代の仏像や普化宗の廃寺に関わる文化財も所蔵しています。
永源寺は、その歴史や文化財から中央市における貴重な観光スポットとして知られています。特に重要文化財に指定された観音像や、明治時代の廃仏毀釈の影響で廃寺となった「明暗寺」の関連文化財が注目されています。また、毎年4月29日に行われる「中央市れんげまつり」では、明暗寺にちなんだ虚無僧行列が行われ、多くの参拝者や観光客が訪れます。
永源寺の創建は、奈良時代または平安時代とされています。当寺に所蔵されている位牌には、開基が「天徳元年(957年)没の河東(加藤)梵玄」と記されています。しかし、梵玄は実際には室町時代の人物であり、この点で時代的なズレが見られます。
永源寺は創建当初、華厳宗の寺院として設立されました。その後、真言宗に転じ、江戸時代の慶長年間(1596年 - 1615年)には曹洞宗に改宗しました。宗派の変遷に伴い、当寺の信仰や儀礼も変化してきたと考えられます。
永源寺の観音堂には、「木造聖観音立像」が安置されています。この仏像は平安時代の作風を示しており、国の重要文化財に指定されています(指定日:明治39年9月6日)。優雅な姿で表現された観音像は、当時の仏教芸術の貴重な例として、多くの参拝者や文化財研究者に注目されています。
永源寺から約1キロメートル南には、かつて「明暗寺(みょうあんじ)」と呼ばれる普化宗の寺院が存在しました。普化宗は尺八を吹く虚無僧が所属する宗派で、明治初期の廃仏毀釈により廃宗処分を受けました。それに伴い、明暗寺も廃寺となり、寺宝は永源寺に移管されました。
特に、明暗寺の本尊であった普化宗の祖師・普化の坐像は、全国でも唯一のものであり、貴重な文化財として永源寺に安置されています。この坐像は、普化宗の信仰や歴史を物語る重要な遺物であり、多くの歴史愛好家が訪れる理由の一つです。
永源寺では、毎年4月29日に「中央市れんげまつり」が開催され、この行事の一環として明暗寺にちなんだ虚無僧行列が行われます。虚無僧行列は、尺八を吹きながら巡行するもので、普化宗の伝統を今に伝える貴重なイベントです。この行列は地域住民や観光客から大変な人気があり、中央市の春の風物詩として定着しています。
永源寺は甲斐国三十三観音霊場および甲斐百八霊場に含まれる札所でもあり、霊場巡りをする参拝者にとって重要な目的地となっています。
永源寺は、甲斐国三十三観音霊場の第2番札所として、多くの参拝者が訪れます。甲斐国三十三観音霊場は、山梨県内にある観音霊場を巡る霊場巡りの一環であり、薬王寺(第1番札所)や光勝寺(第3番札所)とともに信仰の対象とされています。
永源寺は甲斐百八霊場の第50番札所としても位置づけられています。永源寺の前後の札所には、49番の大福寺や51番の遠光寺があり、多くの巡礼者がこの地域を訪れます。甲斐百八霊場巡りは、地域の信仰と歴史を深く知ることができる機会として人気を集めています。
永源寺へのアクセスは、JR東海の身延線を利用するのが便利です。最寄りの駅は小井川駅で、駅から徒歩約18分で到着します。アクセスが良好で、気軽に訪れることができる点も魅力の一つです。