法泉寺は、山梨県甲府市に位置する臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は金剛福聚山です。本尊は弥勒菩薩であり、甲府五山のひとつに数えられています。法泉寺は武田家ゆかりの寺院としても知られ、歴史的に重要な役割を果たしてきました。
法泉寺は甲府市内でも歴史的価値の高い寺院で、甲府盆地の北縁に位置しています。寺院の東側には相川が流れており、自然豊かな場所に佇んでいます。境内には古くから伝わる建物や文化財が数多く残されており、訪れる人々に歴史と文化を感じさせる魅力的なスポットです。
法泉寺の本堂は、甲府市の美しい自然に囲まれた静かな場所に建っています。寺の背後には法泉寺山があり、東側には相川が流れ、自然の恵みを感じられる環境です。法泉寺は甲府市内でも特に風光明媚な場所に位置しており、参拝者にとって癒しの場となっています。
法泉寺は南北朝時代の元徳年間(1329年 - 1332年)に、甲斐国守護であった武田信武が開基となり、信武が帰依していた月舟周勲を開山として創建されました。この寺の名前は、境内にある「金剛不動石」と呼ばれる巨石に由来しています。
『甲斐国志』によれば、法泉寺は武田信武の菩提寺として創建されました。信武は夢窓疎石を開山と仰ぎ、月舟を二世として位置づけたとされています。また、『甲斐国社記・寺記』には、甲斐守護・武田晴信(信玄)が法泉寺を甲府五山の一つに定め、快岳周悦を住職に招き庇護したと記されています。これにより、法泉寺は武田家との深い関係を築くこととなりました。
法泉寺は、武田勝頼にゆかりのある寺院としても知られています。『甲陽軍鑑』によれば、武田氏の滅亡時に快岳は帯那郷(甲府市上帯那町・下帯那山)へ逃れ、京都から持ち帰った勝頼の遺髪を帯那山に隠したとされています。その後、甲斐を治めた徳川氏は快岳を中興開山とし、法泉寺を勝頼の菩提寺としました。
江戸時代には、法泉寺は江戸幕府から朱印状を与えられ、寺の財政的な支援を受けていました。また、寺には武田家に関連する多くの文書が所蔵され、歴史的な価値を持っています。1830年(文政13年)には、武田勝頼の250回忌を記念して甲冑姿の肖像が制作され、現在も寺に伝えられています。
法泉寺には、市指定文化財や史跡が数多く存在し、歴史的・文化的価値の高いものが多くあります。以下では、法泉寺の代表的な文化財について紹介します。
法泉寺の経蔵には、輪蔵と呼ばれる回転式の書架が備えられており、鉄眼版の一切経が収められています。これらは市指定文化財に指定されており、法泉寺の歴史と宗教的な価値を象徴しています。
法泉寺の山門は鐘楼門となっており、訪れる人々を出迎える重要な建築物です。この門も市指定文化財に登録されており、その重厚な造りは寺院の歴史を感じさせます。
夢窓国師は法泉寺の初代開山とされる重要な僧侶であり、その坐像も市指定文化財として保存されています。この像は、夢窓国師の精神と教えを今に伝える貴重な遺産です。
法泉寺の本尊である釈迦如来像は、木造・寄木造で作られた玉眼嵌入の像です。像高は50.5センチメートルで、14世紀後半の院派の作例と推定されています。この像は「宝冠釈迦如来像」と呼ばれ、頭部には豪華な宝冠が飾られています。山梨県内では、甲府市桜井町の東禅寺や甲州市大和町木賊の棲雲寺などに同様の像が伝えられており、文化的価値が高いものとされています。
法泉寺には、武田家に関する貴重な古文書が多く所蔵されています。これらの文書は、武田家の歴史を知る上で重要な資料となっており、市指定史跡として保護されています。
法泉寺の境内には、甲斐国守護であった武田信武および武田勝頼の墓が設けられており、市指定史跡として認められています。これらの墓所は、武田家と法泉寺の深い関係を象徴するものです。
法泉寺には石造の井戸側があり、市指定有形民俗文化財に登録されています。この井戸側は、当時の生活を今に伝える貴重な遺産です。
法泉寺の所在地は以下の通りです。
所在地: 山梨県甲府市和田町2595
甲府市中心部からアクセスしやすく、周辺には観光地も多く点在しています。歴史的な価値を持つ法泉寺は、多くの観光客や歴史愛好家にとって訪れる価値のある場所です。
法泉寺以外にも、甲府市内には多くの歴史的な寺院や文化財が点在しています。以下はその一部です。
これらの寺院も、法泉寺とともに甲府市の歴史と文化を感じることができる貴重な場所です。訪れる際には、ぜひ甲府五山の寺院を巡り、甲府市の魅力を体感してみてください。