山梨縣護國神社は、山梨県甲府市に位置する護国神社で、戦没者を祀るための神社です。西南戦争以降の戦没軍人や軍属、合計で25,039柱の英霊が祀られており、県内でも重要な歴史的および精神的な拠点となっています。
この神社の歴史は、明治12年(1879年)に遡ります。当初、市内の太田町に「招魂社」として創建されました。その後、昭和17年(1942年)に現在の甲府市岩窪の地に遷座され、翌昭和19年(1944年)に正式に「山梨縣護國神社」と改称されました。
戦後の一時期には「山梨宮」と名を改めましたが、現在では「山梨宮」は、山梨県出身の殉職した自衛官などを祀る摂社としての役割を果たしています。
現在の鎮座地である岩窪は、もともと甲府藩主であった柳沢氏の菩提寺、黄檗宗寺院「永慶寺」があった場所です。この寺院は、享保9年に甲斐国が幕府の直轄領となった際に大和郡山に移転されています。
現在の建物は昭和17年(1942年)に建てられました。設計は内務省神社局の角南隆氏が担当し、全国の護国神社の設計に携わった彼の設計思想が反映されています。特に、祭典時に参列者が多く集まることを考慮し、拝殿前には広場が設けられています。この広場は、祭典時のみならず日常の社殿建築とよく調和するよう設計されています。
山梨縣護國神社は、山梨県内でも有数の桜の名所としても知られています。春には多くの参拝者や観光客が訪れ、美しい桜の景観を楽しむことができます。
山梨縣護國神社へは、JR甲府駅からバスを利用することが便利です。
甲府駅北口2番のりばから山梨交通バス「武田神社」行きまたは「積翠寺」行きに乗車し、「護国神社入口」で下車します。そこから徒歩約10分で神社に到着します。