山梨県 » 甲府

法蓋山 東光寺

(とうこうじ)

東光寺は、山梨県甲府市東光寺に位置する臨済宗妙心寺派の寺院で、山号を「法蓋山」と称します。本尊は薬師如来であり、甲府五山のひとつとして名高く、古くから地域の人々に親しまれています。

寺の概要

東光寺は甲府市の東光寺町にあり、鎌倉時代からその歴史が伝わる名刹です。本尊は薬師如来であり、多くの参拝者が訪れる地となっています。平安時代や鎌倉時代に再建を重ね、現在に至るまでの長い歴史の中で多くの人物が関わってきたことでも知られています。

東光寺の歴史

創建から平安時代の再興

東光寺の創建年代は不明ですが、寺伝によると、平安時代の保安2年(1121年)に源義光(新羅三郎)が国家鎮護と仏法繁盛を祈願して再興したと伝わります。当初は「興国院」と呼ばれていましたが、時代の流れの中で荒廃しました。

鎌倉時代における禅宗寺院への転換

鎌倉時代の弘長2年(1262年)、渡来僧の蘭渓道隆によって禅宗寺院として再興され、寺号も「東光寺」に改められました。また、『甲斐国志』では、再興が文永年間とされています。さらに、鎌倉幕府の執権・北条高時からも高い寺格が与えられ、五山十刹に次ぐ地位を持つ官寺として位置づけられました。

室町時代の梵鐘移設

応永27年(1420年)には、所在不明であった大林寺から梵鐘が東光寺に移されました。これは寺の重要な文化財の一つであり、東光寺が多くの人々の信仰を集めていたことを示しています。

戦国時代と武田信玄の庇護

戦国時代の天文年間には、甲斐国国主であった武田晴信(信玄)による庇護を受け、山号を法蓋山、寺号を東光興国禅寺と改めました。さらに、陣夫役の免除などの特権も受けており、この時代に大いに栄えました。

織田氏による焼き討ちとその後

天正10年(1582年)には織田氏の侵攻により武田家が滅亡し、東光寺も焼き討ちに遭います。藍田恵青を含む多くの僧侶が兵火で亡くなり、諸堂や文書類も焼失しました。江戸時代になると、徳川氏から寺領と山林の安堵を受け、再び復興が進められました。

東光寺の文化財

国指定重要文化財

仏殿

東光寺の仏殿(薬師堂)は、昭和2年4月25日に国の重要文化財に指定されています。室町時代後期に建てられたこの仏殿は、入母屋造檜皮葺屋根の建築様式を持ち、本尊の薬師如来像や十二神将像が安置されています。1956年には解体修理も行われており、禅宗様式の仏殿として県内でも貴重な文化財です。

東光寺庭園

昭和54年3月31日に山梨県指定名勝として指定された東光寺庭園は、本堂と庫裏の背後に広がる美しい庭園です。蘭渓道隆が作庭したと伝わり、池泉鑑賞式の庭園として知られています。

その他の重要文化財

東光寺と甲府市の地名の由来

東光寺は、甲府市の地名「東光寺町」の由来となっている場所でもあります。中世には「東光寺郷」、近世には「東光寺村」として呼ばれていた地域で、1937年(昭和12年)以降は甲府市東光寺町として現在の地名に引き継がれています。

周辺観光とアクセス

東光寺は甲府五山のひとつとして多くの観光客が訪れる寺院です。周辺には他の寺院や観光スポットも点在しており、歴史散策や禅宗文化の理解を深める場としても人気です。山梨県の文化と歴史を感じられるスポットとして、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

まとめ

東光寺は、甲府市の歴史と文化を語る上で欠かせない寺院であり、多くの重要文化財を有しています。武田信玄や蘭渓道隆などの著名な人物との関わりや、戦国時代から江戸時代を通じて寺院がどのように守られてきたかがわかる貴重な史跡です。歴史的背景と文化的価値の両面から、東光寺の魅力を堪能してください。

Information

名称
法蓋山 東光寺
(とうこうじ)

甲府

山梨県