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甲府教会

(こうふ きょうかい)

甲府教会は、山梨県甲府市丸の内に位置する、日本基督教団のメソジスト系教会です。創立は1878年(明治11年)7月7日であり、アメリカから派遣された宣教師C・S・イビーによって設立されました。この教会は、山梨県内でのキリスト教宣教の拠点として、長い歴史を誇り、現在も多くの信徒に支えられています。

甲府教会の設立と初代牧師

1878年(明治11年)4月、C・S・イビーが山梨県南巨摩郡南部の私塾「蒙軒学舎」の経営者、近藤喜則に招かれ、甲府に移住しました。同年6月、イビーは甲府でメソジスト講義所を開設し、7月7日に正式に甲府教会を創立しました。イビーは初代牧師として信徒たちの指導にあたり、この教会は甲府を拠点に周辺地域での伝道を進めました。

伝道の拠点としての役割

甲府教会は山梨県内でのキリスト教の布教活動の中心となり、勝沼(現在の甲州市勝沼町)、市川大門(現在の市川三郷町)、日下部(現在の山梨市)など、地域にもその影響を広げていきました。また、日本人初の牧師である浅川広湖がこの地で誕生したことも、この教会の歴史において特筆すべき点です。

甲府教会の歴史

初代から5代目までの会堂と牧師交代

創設以来、甲府教会は幾度か会堂の建設と牧師の交代を経験してきました。以下は、初代から5代目の会堂建設や、歴代の牧師たちの動向についての概要です。

1885年(明治18年) - 初代会堂の建設

1885年に、桜町(現在の甲府市中央2丁目)に初代の会堂が完成し、信徒たちが集う場所として機能しました。この会堂は、その後も移転や改築が続きましたが、甲府教会の歴史的な中心地として重要な役割を果たしました。

5代目までの歴代牧師の交代

創設から数十年の間に、牧師の交代も頻繁に行われました。例えば、1882年には平岩愃保が3代目牧師として着任し、数年後には静岡教会に転任しています。また、1885年には浅川広湖が4代目牧師として再任しましたが、不祥事により解任されるなど、当初の教会運営にはさまざまな困難も伴っていました。

6代目以降の牧師と2代目会堂の建設

1891年には、桜町1丁目に2代目会堂が献堂され、教会の活動基盤がさらに拡充されました。以降、教会は6代目牧師の山中笑をはじめとする歴代の牧師たちに支えられながら、地域におけるキリスト教布教活動を一層広めていきました。

キリスト教教育と社会貢献

山梨英和女学校と有朋義塾の設立

甲府教会の教会員や牧師たちは、キリスト教教育にも熱心に取り組みました。例えば、1889年には宮腰信次郎と新海栄太郎(校主)らによって「山梨英和女学校」(現在の山梨英和学院)が開校され、女子教育において重要な役割を果たしました。また、1895年には男子中等教育機関である「有朋義塾」が設立され、さらに教会付属の幼稚園も併設されました。

教会が担った社会貢献

甲府教会は、地域社会への貢献も積極的に行ってきました。戦後の混乱期においても、教会は地域住民に対して支援を行い、信仰だけでなく社会福祉の観点からも大きな役割を果たしました。

空襲被害と戦後の復興

1945年の甲府空襲による被害

1945年(昭和20年)7月6日、甲府教会の会堂は空襲により焼失しました。この被害によって多くの貴重な記録や財産が失われ、教会の存続は危機に瀕しました。しかし、信徒たちの支えと献身的な努力により、戦後すぐに復興の歩みが始まりました。

4代目会堂の建設

戦後の復興活動の一環として、1947年(昭和22年)には新たに4代目の会堂が完成しました。この会堂は、古橋柳太郎氏による設計・監督のもとで建設され、現在の教会活動の中心として利用されています。

近代化と現在の甲府教会

5代目会堂の新築と現代の信徒活動

1989年には、5代目の会堂が新築され、甲府教会はさらなる発展を遂げました。この新しい会堂は、より多くの人々が集まりやすい環境を提供し、教会の活動も現代のニーズに合わせて多様化しています。

歴代牧師の献身

甲府教会は、初代から現在に至るまで数多くの牧師たちによって支えられてきました。近年では、松木田 博牧師と金 明淑牧師が教会を率い、信徒たちの信仰を深めると共に地域社会との連携も進めています。

まとめ

甲府教会は、山梨県におけるキリスト教布教の中心地として、その歴史を今に伝えています。長い歴史の中で幾度もの困難を乗り越え、現在も多くの人々に支えられているこの教会は、信仰の場であると同時に、地域社会との絆を深める場としても重要な役割を担っています。

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名称
甲府教会
(こうふ きょうかい)

甲府

山梨県