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谷戸城

(やとじょう)

谷戸城は、山梨県北杜市大泉町谷戸にあった日本の山城で、国の史跡に指定されています。この城跡は、平安時代後期から戦国時代にかけて甲斐源氏に関係する歴史的な場所で、現在は城跡として保存され、地域の歴史を伝える重要な史跡です。

立地と構造

谷戸城は山梨県北西部の北杜市大泉町谷戸に位置し、八ヶ岳の崩落によって形成された尾根上に築かれています。標高約850メートルの高さにあり、地形を巧みに利用した城郭構造が特徴です。東西には東衣川と西衣川が流れ、三方を急な崖で囲まれているため、自然の要害としての機能を持ちました。

輪状郭群と防御設備

谷戸城の構造は輪状郭群で、城の中心部を土塁や空堀で囲み、同心円状の配置が見られます。城の北側は尾根に通じており、北東や西側には内部に横堀が伴う土塁があります。南斜面には帯状の郭が数段にわたって広がり、防御施設が集中しているため、敵の侵入を効果的に防ぐ構造となっています。

谷戸城の歴史

平安時代後期:甲斐源氏の発祥地

平安時代後期には、常陸国那珂郡から源義清・清光親子が甲斐国市河荘に流罪となり、谷戸城の地に定住しました。清光の子孫は甲斐源氏の祖となり、甲斐国各地で勢力を広げました。江戸時代に成立した『甲斐国志』によると、清光は正治元年(1199年)に当地で亡くなったと伝えられています。

治承・寿永の乱と甲斐源氏

治承・寿永の乱の際、1180年の石橋山の戦いで敗れた源頼朝の使者として北条時政が甲斐に入国。甲斐源氏の武田信義らは頼朝のために戦い、「逸見山」にて北条時政と会見しました。谷戸城周辺の「逸見山」は、甲斐源氏にとって重要な拠点であり、北杜市内のいくつかの候補地のひとつとされています。

戦国時代:武田信玄と信濃侵攻

戦国時代には、武田信玄(晴信)が信濃侵攻を開始し、1548年には佐久郡前山城攻略の際に谷戸城に陣を敷いたとされます。この出来事は『高白斎記』に記録されていますが、具体的に谷戸城を指しているかどうかは不明です。

天正壬午の乱と後北条氏の進出

天正10年(1582年)に武田氏が滅亡し、同年6月の本能寺の変によって甲斐国では「天正壬午の乱」が勃発しました。徳川家康と北条氏直が甲斐を巡って争い、谷戸城は後北条氏が布陣した拠点のひとつとされています。

谷戸城跡の保存と発掘調査

谷戸城跡は江戸時代から城跡と認識されており、1976年には山梨大学考古学研究会によって測量調査が行われました。1982年には一部発掘調査が行われ、堀跡や土塁などの遺構が確認され、青磁片や洪武通宝などの遺物が出土しました。1993年には国の史跡に指定され、1999年までに公有地化が進められ、地域の貴重な歴史遺産として保存されています。

北杜市考古資料館

谷戸城跡の北西角に隣接して、北杜市考古資料館があります。2007年に「谷戸城ふるさと歴史館」として開館し、その後、北杜市考古資料館に改称されました。この資料館では、北杜市内で発掘された旧石器時代から戦国時代にかけての遺構や遺物の常設展示が行われており、訪れる人々に地域の歴史と文化を紹介しています。

展示内容

館内は以下の展示室に分かれており、それぞれの時代に関する遺物や遺構が展示されています。

展示室1:旧石器時代~縄文時代

この展示室では、国史跡である金生遺跡に関する資料や、旧石器時代から縄文時代にかけての遺物が展示されています。

展示室2:弥生時代~平安時代

弥生時代から平安時代の遺物が展示され、甲斐源氏の祖である源清光に関連する展示もあります。

展示室3:中世(鎌倉時代~戦国時代)

谷戸城跡に関する展示が中心となり、中世の甲斐国における城郭や戦乱について解説されています。

利用案内

北杜市考古資料館は、歴史や考古学に興味を持つ方々にとって、地域の遺産を学ぶ貴重な場となっています。

開館時間: 午前9時 - 午後5時(入館は午後4時30分まで)

観覧料: 大人210円(20名以上の団体は100円)、小中学生100円(団体は50円)

休館日: 火曜日・水曜日(祝日の場合は木曜日)、祝日の翌日、年末年始(12月28日~1月4日)

アクセス

公共交通機関

JR中央本線小淵沢駅から北杜市民バスに乗り、「旧JA大泉支店前」バス停で下車し、徒歩約6分です。

中央自動車道長坂ICより約10分で到着できます。

谷戸城と北杜市考古資料館は、山梨県の歴史と文化を感じることができる観光地として注目されています。歴史好きの方だけでなく、自然豊かな環境の中での散策を楽しみたい方にもおすすめのスポットです。

Information

名称
谷戸城
(やとじょう)

清里・小淵沢

山梨県