武田八幡宮は、山梨県韮崎市神山町北宮地集落の西部に位置する神社で、旧社格は県社です。本殿は国の重要文化財に指定されており、その歴史と文化的価値が高く評価されています。
武田八幡宮は古くから信仰を集め、地元では「八幡さま」として親しまれてきました。ここではその由緒や歴史、祭礼、文化財について詳しくご紹介します。
武田八幡宮の社伝によれば、822年(弘仁13年)に勅命により、宇佐神宮または石清水八幡宮の分霊が勧請されたと伝えられています。この際、地名から「武田八幡宮」と名付けられたとされています。また『甲斐国志』によると、当神社の別当寺である法善寺の記録に基づき、空海が夢の中で八幡大菩薩の出現を見たことが創建のきっかけとなったとも言われています。
武田信義はこの神社を氏神とし、社殿の再建や修繕を行いました。さらに、戦国時代に甲斐の守護であった武田信玄もこの神社を信仰し、1542年(天文10年)に大檀主として嫡子・武田義信と共に再建を果たしました。この再建は信玄が国主となって行った初めての事業としても知られています。
1582年(天正10年)、織田信長の甲州征伐が行われた際、武田勝頼の妻である北条夫人が勝頼の武運を祈って祈願文を奉納しました。この祈願文は掛軸として残され、現在は県の有形文化財として指定されています。
武田氏滅亡後、甲斐の領主となった徳川家康も武田八幡宮を尊重し、1583年(天正11年)には社領を安堵しました。また、当時家康の命により家臣の平岩親吉が神社の造営を行ったと伝えられています。
武田八幡宮の主祭神は以下の四柱です。
武田八幡宮では国家安穏や万民平癒を祈願するための祭礼が行われています。中でも重要な祭礼として、毎年8月14日に行われる大祭があり、神輿が宮久保村まで御幸する神事が行われます。
武田八幡宮の本殿は、檜皮葺きの三間社流造で、国の重要文化財に指定されています。また、附棟札や旧巻斗も重要文化財として指定されており、その歴史的価値が評価されています。
武田八幡宮へのアクセス方法は以下の通りです。
武田八幡宮は山梨県韮崎市の歴史を感じさせる神社であり、訪れる人々にその神秘的な魅力を与えています。観光で訪れる際には、長い歴史と多くの文化財に触れ、この地域に根付いた信仰と伝統を体感してみてください。