願成寺は、山梨県韮崎市神山町鍋山にある曹洞宗の寺院であり、山号を「鳳凰山」とし、阿弥陀如来を本尊としています。中世以来、甲斐源氏や武田氏ゆかりの地として知られる願成寺は、地域の歴史と文化に深いかかわりを持っています。
願成寺は甲府盆地の西部、釜無川右岸の平野から山麓に広がる神山地区東部に位置し、歴史ある武田八幡宮や白山城跡といった甲斐源氏に関連する史跡が点在する地域にあります。山門には「鳳凰山」の山号額が掲げられており、市の文化財に指定されています。
古代の甲斐国では、天台宗や真言宗の密教が伝わり、願成寺もその創建当時は天台宗の寺院だったとされています。平安時代後期には、常陸国から源義清とその子孫である甲斐源氏が移住し、武田氏の祖である武田信義によって願成寺が創建されたと伝えられています。
願成寺は、武田氏の発展とともに大きな役割を果たしました。鎌倉時代には甲斐源氏の一族が源頼朝により粛清され、寺も一時衰退しましたが、戦国時代に武田氏により再興され、臨済宗に改宗されたとされています。また、武田信玄の甥である住職の願成寺俊虎(がんじょうじ しゅんこ)によって武田氏とのつながりが強まりましたが、系譜は不明とされています。
武田氏の滅亡後、寺院は天正壬午の乱や慶長年間の火災で多くの寺宝を失いましたが、承応年間には然室(ぜんしつ)によって曹洞宗に改宗され、再び興隆しました。また、近世には上条南割村の大公寺の末寺として支えられました。
願成寺には重要文化財に指定されている阿弥陀三尊像をはじめとする貴重な仏像が所蔵されています。本尊の阿弥陀三尊像は、甲斐源氏の棟梁であった武田信義の発願によるものとされ、平安時代末期(12世紀後半)に作られたと伝えられています。
阿弥陀三尊像は、中央に来迎印の阿弥陀如来坐像、左右には観音菩薩立像と勢至菩薩立像が安置されています。阿弥陀如来像の高さは146.1センチメートル、観音菩薩像は169.7センチメートル、勢至菩薩像は168.5センチメートルで、いずれも平安時代に中央で活躍した仏師・定朝様の作風を反映しています。
定朝は11世紀中頃に活躍した仏師で、その作風は全国に広がり、甲斐国にも多くの定朝様式の仏像が存在します。願成寺の阿弥陀三尊像は、この定朝様式の影響を受けた貴重な例であり、甲斐善光寺にも同様の阿弥陀三尊像が伝わっています。
甲斐源氏は、氏神である八幡神の本地仏として阿弥陀如来を信仰しており、願成寺の阿弥陀三尊像もその信仰を象徴しています。また、寺院内には鎌倉期に制作された阿弥陀三尊像や一条信長による寄進の大般若経の一部も所蔵されています。
願成寺の境内には、鎌倉様式の五輪塔が残されており、これは武田信義の墓所であると伝えられています。この五輪塔は、武田信義に対する敬意と共に、甲斐源氏の長い歴史を物語る貴重な遺産です。
訪れる人々にとって、願成寺は甲斐源氏と武田氏にまつわる歴史を深く学べる場所であり、阿弥陀三尊像や五輪塔などの文化財を目にすることができます。神聖な雰囲気の中で、平安・鎌倉期の日本美術の粋を感じることができるでしょう。
願成寺は山梨県韮崎市内にあり、観光スポットとしても多くの人が訪れます。近くには釜無川が流れ、甲府盆地や山々の美しい風景を楽しむことができます。アクセス方法については、公共交通機関や自動車を利用して訪れることが可能です。
願成寺は、山梨県韮崎市の歴史的な曹洞宗の寺院であり、甲斐源氏や武田氏にまつわる深い歴史を持つ場所です。重要文化財に指定されている阿弥陀三尊像をはじめ、数々の仏像や文化財が境内に残り、訪れる人々に古の日本美術と信仰の歴史を伝えています。静かな雰囲気の中、歴史と文化を感じるひとときを過ごすことができる願成寺は、山梨観光の際にはぜひ訪れたい場所のひとつです。