清里高原は、山梨県北杜市高根町に広がる高原であり、八ヶ岳の南東麓に位置する観光地として知られています。清里高原からは遠くに富士山を望むことができ、豊かな自然環境が広がっています。
清里は、1875年(明治8年)に浅川村と樫山村の合併により「清里村」として誕生しました。もともとの大字名は「樫山」でしたが、1964年(昭和39年)に「清里」に改名されました。「清里高原」は当初観光地名として使われていましたが、現在では正式な地名「山梨県北杜市高根町清里」として認められています。
清里高原は、八ヶ岳火山の南東麓に広がる広大な裾野に位置し、開拓によって発展した地域です。気候は高地ならではの激しい気象変化が特徴で、地形も急坂が多く、平坦な土地は少ないです。
1935年(昭和10年)に東京都西部の西多摩郡奥多摩町で小河内ダム(小河内貯水池)の建設が始まり、その影響で移住を余儀なくされた人々や入植者により、この地の開拓が進められました。その後、国鉄(現JR東日本)清里駅を中心に観光地として発展し、1970年代から1980年代には『an・an』『non-no』といった女性誌で頻繁に紹介されるようになり、「清里ブーム」が起こりました。
1970年代からの清里ブームでは、清里は観光客で賑わい、ペンションやタレントショップ、ファンタジー風の店舗が次々とオープンしました。1975年の観光客数は87万人でしたが、1989年には約3倍の254万人に達し、ペンションは130棟以上が建ち並びました。
しかし、1990年代のバブル経済の崩壊によりブームは衰退し、清里駅周辺の店舗の閉鎖が相次ぎました。最盛期には一坪500万円で取引された駅前の地価も、2017年には約3万円にまで下落しました。
現在でも、清里高原は夏には避暑地、冬にはスキーリゾートとして多くの人々に訪れられています。また、八ヶ岳への登山客にも人気のエリアです。
清里高原には、さまざまな観光名所が点在しています。主な名所として、アメリカの宣教師であるポール・ラッシュによって設立された公益財団法人キープ協会が運営する「清泉寮」や「キープ農場」、工芸家のギャラリーが集まる「萌木の村」などがあり、観光客を引きつけています。
「清泉寮」は、アメリカのキリスト教宣教師ポール・ラッシュにより設立され、キリスト教精神に基づいた社会教育活動を行っている施設です。豊かな自然に囲まれた敷地には、宿泊施設やレストラン、牧場があり、多くの観光客が訪れます。
「萌木の村」は、さまざまなギャラリーや店舗が集まるエリアで、清里の自然に調和した独特の雰囲気を楽しめます。特に手工芸品やアート作品に触れられるスポットが多く、観光客の人気を集めています。
冬季にはスキーやスノーボードが楽しめる「サンメドウズ清里スキー場」があり、雪景色を楽しむために訪れる人も多くいます。夏季にはリフトを利用して高原の景色を楽しむこともできます。
清里高原周辺には滝や渓谷があり、四季折々の風景を楽しむことができます。特に秋には紅葉が美しく、多くのハイカーが訪れます。
清里高原へのアクセスは、JR小海線の清里駅を利用するのが便利です。小海線は中央本線の小淵沢駅や北陸新幹線の佐久平駅から乗り換えが可能ですが、佐久平駅からのアクセスは小淵沢駅からのアクセスよりも時間がかかります。
清里高原には複数の主要なアクセス道路があり、いずれも中央自動車道からアクセスが可能です。
また、国道20号からもこれらの路線へアクセスすることができます。一般道には急坂や急カーブが多いため、注意が必要です。
これらの施設や自然環境が清里高原を訪れる観光客にとって魅力的なスポットとなっており、四季折々の風景やアクティビティを楽しむことができます。