穂見神社は山梨県韮崎市旭町上条南割にある、式内社論社の旧村社です。別称として「苗敷山権現」とも呼ばれ、信仰を集める神社として知られています。標高1037メートルの苗敷山(旭山)山頂には本宮が、苗敷山東麓には里宮が位置しています。
穂見神社の祭神は天之底立命(あまのそこたつのみこと)、国之常立命(くにのとこたちのみこと)、および豊受姫命(とようけひめのみこと)です。神社の里宮が位置する韮崎市旭町上条南割は、甲府盆地の西端にあり、釜無川右岸の段丘上に建っています。周囲には南側を流れる御勅使川(みだいがわ)があり、自然豊かな場所にあります。
苗敷山は標高1032メートルの山で、江戸時代には多くの人々が訪れ、信仰の山として栄えていました。『延喜式』の神名帳には、巨麻郡の「穂見神社」が記載されています。韮崎市穴山町や南アルプス市高尾にも穂見神社の論社が存在しています。
古くは穂見神社は「苗敷山権現」とも称され、苗敷山の山頂には別当寺として真言宗の「苗敷山宝生寺」があったとされています。この宝生寺は現在では廃寺となっていますが、かつては山門や随神門、鐘楼、客殿、庫裏などの建物があり、礎石やテラスも確認されています。また、土師器や墨書土器、緑釉陶器なども出土しており、当時の繁栄を物語ります。
穂見神社は、戦国時代には甲斐守護の武田氏から庇護を受けていましたが、天正壬午の乱(1582年)の兵火により一時衰退しました。その後、徳川家康から社領を安堵されるなどの支援を受け、徐々に再興を果たしました。
近世には、穂見神社の境内に本地仏である虚空蔵菩薩を祀った虚空蔵堂がありました。この虚空蔵菩薩は甲府盆地の湖水伝承と関連し、盆地の開拓伝説と結びついています。この伝説では、苗を敷植し、稲作を人々に教えたとされ、作物の豊穣を願う参詣客が多く訪れたといいます。「苗敷山」の山名もこの開闢伝承に由来しています。
奥宮までの参道には、元禄4年(1691年)に整備された丁石が立ち並び、十三丁目の地点には寛文4年(1664年)の石鳥居が建っています。この参道を歩きながら、当時の参詣の様子を偲ぶことができます。
萩原元克が編纂した『甲斐名勝志』には、西行法師が苗敷山からの眺望を詠んだ和歌が伝えられています。しかし、『甲斐国志』には、この和歌について確実な根拠がないとして、記述が否定されています。
穂見神社はその豊かな歴史と、甲府盆地を見渡せる美しい自然環境が調和する神聖な場所です。鳥居から奥宮までの参道を歩くと、かつて信仰の山として多くの人々が訪れたことを実感できるでしょう。また、周辺には史跡や遺物が点在し、歴史的な趣を感じられます。
参拝の際は、穂見神社の本宮と里宮を訪れ、壮大な景観を楽しむことができます。特に苗敷山からの眺望は、四季折々の自然が織りなす美しさが楽しめます。また、奥宮への参道には歴史的な遺物も多く、歴史に思いを馳せながらの散策が楽しめます。
参道には丁石や石鳥居などの歴史的な遺構が点在しています。これらは江戸時代からの歴史を物語る貴重な遺物で、特に石鳥居は参道十三丁目にあるもので、寛文4年(1664年)に建てられたと伝えられています。
穂見神社は、開闢伝承や豊穣祈願といった古代からの信仰が続く神社で、現在も多くの参拝客が豊かな収穫や家庭の安泰を祈願に訪れます。また、甲斐の名勝として名高い苗敷山での景観も楽しめるため、観光地としても人気のスポットです。
穂見神社の里宮は、韮崎市旭町の上条南割に位置し、車や公共交通機関でのアクセスが可能です。苗敷山の奥宮まで行く場合、登山道を利用することになりますので、登山装備が必要です。山頂からの絶景を楽しむために、多くの登山者が訪れています。
山梨県韮崎市旭町上条南割
韮崎駅からバスまたは車で約20分
穂見神社は、その歴史ある佇まいや神聖な雰囲気から、多くの人々に親しまれている神社です。豊かな自然に囲まれた参道を歩き、神社の魅力を味わいながら、ゆっくりとした時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。