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根古屋神社の大ケヤキ

(ねごや じんじゃ おおケヤキ)

山梨県北杜市須玉町江草にある根古屋神社には、日本有数の大ケヤキが一対そびえています。この「根古屋神社の大ケヤキ」は、地域のシンボルとして人々に親しまれており、長い歴史を見守り続けてきた巨木です。

概要

根古屋神社の境内には、本殿と舞台を挟むようにして2本の大ケヤキが立っています。右側の木は「畑木(はたき)」、左側の木は「田木(たき)」と呼ばれており、両方とも樹高20メートル、幹周り10メートルを超える巨木です。

豊作を占う伝統

かつてこの大ケヤキの芽吹きの早さを基準に、その年の作柄を占う風習がありました。畑木が早く芽吹けば畑作物が豊作になり、田木が早く芽吹けば稲作が豊作になるとされ、地元の人々はこの木を通じて自然と対話し、豊作を祈願してきました。

国の天然記念物に指定

この一対のケヤキは、その歴史的価値と規模から国の天然記念物に指定されています。長い年月の間に枯死を防ぐため多くの補修が施されてきましたが、現在も元気に青葉を繁らせ、地域の景観を彩り続けています。

根古屋集落と根古屋神社

根古屋神社が位置する根古屋集落は、塩川(釜無川の支流で、八ヶ岳と茅ヶ岳の間を流れる川)沿いに広がる地域です。この塩川沿いには古くから「小尾街道(穂坂路)」と呼ばれる道が通っており、信州峠を越えて信濃国(現在の長野県)へと至る重要な街道として利用されていました。

交通の変遷と観光地としての役割

現在では塩川の西岸に県道が整備されていますが、かつてはこの街道が信州峠や増富温泉への主要ルートでした。根古屋神社の大ケヤキも、こうした歴史ある道中に位置しているため、多くの旅人や観光客に親しまれるスポットとなっています。

戦国時代の歴史と獅子吼城

「根古屋」という地名は、一般的に山城の麓にある集落に使われることが多いですが、この地域も戦国時代の山城「獅子吼城(ししこじょう、別名: 江草小屋)」が東側の山上に存在しています。

天正壬午の乱と獅子吼城

1582年(天正10年)、武田家の滅亡後、徳川氏と後北条氏の間で「天正壬午の乱」が勃発しました。徳川・後北条の両氏は、七里岩(現在の韮崎市)周辺にある城砦に布陣し、激しい戦いを繰り広げました。この戦いにおいて、穂坂路沿いに位置する獅子吼城は北条氏の布陣場所となりましたが、同年6月の夜襲により徳川・旧武田家臣団の連合軍が獅子吼城を攻略し、落城させました。

根古屋神社の大ケヤキは、樹齢約1000年と推定されており、戦国時代のこうした歴史の移り変わりを見守り続けてきました。

根古屋神社と大ケヤキの保護状況

現在、根古屋神社の大ケヤキは国の天然記念物として保護され、地域の人々によって大切に維持されています。また、枯死を防ぐための補修が行われており、今もなお元気な姿を保っています。

観光としての価値

根古屋神社の大ケヤキは、その規模と歴史から観光地としても高く評価され、多くの観光客が訪れています。根古屋神社を訪れることで、地域の歴史と自然の力強さを感じることができるでしょう。

アクセス情報

根古屋神社の大ケヤキへは、山梨県北杜市須玉町の根古屋神社までアクセスできます。車で訪れる場合は、近隣の駐車場を利用することができます。

根古屋神社とその大ケヤキは、地域の歴史を今に伝える貴重な文化財です。戦国の動乱を乗り越え、今も地域の人々に愛され続ける巨木の姿を、ぜひ訪れて感じてみてください。

Information

名称
根古屋神社の大ケヤキ
(ねごや じんじゃ おおケヤキ)

清里・小淵沢

山梨県