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津金山 海岸寺

(かいがんじ)

山梨県北杜市須玉町上津金にある臨済宗妙心寺派の寺院である海岸寺は、甲斐百八霊場第71番札所としても知られ、山号は津金山、本尊は釈迦如来です。長い歴史を持つこの寺院は、地域の人々や巡礼者にとって大切な信仰の場となっています。

創建と歴史

寺の創建は、養老元年(717年)に行基によって庵が建立されたのが始まりと伝えられています。天平9年(737年)には、聖武天皇から「光明殿」の勅額が賜られ、以降、朝廷からの崇敬を受けました。

平安時代には、新羅三郎義光が京から玄観律師を迎え、海岸寺を鎮護国家の道場として発展させました。また、義光の子である武田義清も寺領を寄進し、義光の菩提を弔いました。

中世から近世への発展

応安年間(1368年 - 1375年)には武田信清の孫である清武が鎌倉の建長寺から石室善玖を招き、律宗から臨済宗に改宗しました。天正10年(1582年)には織田信長の甲州征伐によって堂宇が焼き払われましたが、翌年の天正11年(1583年)に徳川家康が寺領を寄進し、寺院が再興されました。慶長8年(1603年)には、天下安寧の祈願所として位置づけられました。

臨済宗妙心寺派への改宗

その後、寛文7年(1667年)には即応宗智が中興し、臨済宗建長寺派から臨済宗妙心寺派に改宗されました。以降、妙心寺派の寺院として地元の信仰を集め、歴史を積み重ねてきました。

観音堂と千手観世音菩薩

海岸寺の観音堂には千手観世音菩薩が祀られています。この観音菩薩は、行基が創建した際に観音平に出現したと伝えられ、「光明観音」とも称されています。甲斐国三十三観音霊場の札所本尊として広く信仰を集め、巡礼者が参拝に訪れる場所です。

旧寺号と日本三津金寺

海岸寺はかつて「津金寺」とも称されていました。この旧寺号により、長野県立科町の津金寺や長野県佐久穂町の津金寺(千手院)と共に「日本三津金寺」の1つとして数えられています。

伽藍(寺院の建物)

海岸寺には、以下の伽藍が設けられています。

本堂

本尊である釈迦如来が祀られている主堂です。境内の中心に位置し、参拝者を迎え入れます。

庫裡(くり)

僧侶たちが生活を営むための建物です。庫裡には僧侶たちの居住スペースや台所などが設けられています。

観音堂

千手観世音菩薩が祀られている堂で、甲斐国三十三観音霊場の札所として信仰を集めています。

経蔵

経典を収めている建物で、訪れる人々に学びの場を提供しています。

鐘楼

鐘を吊るしている楼閣です。新年の除夜の鐘などの際に撞かれることがあります。

仁王門

本堂へと続く入り口に位置し、守護神として仁王像が安置されています。参拝者を迎えつつ、悪霊から寺を守っています。

百体観音

境内には石仏師である守屋貞治が制作した観音霊場の百観音の石仏が安置されています。西国三十三所、坂東三十三箇所、秩父三十四箇所の各観音霊場に対応した像が立ち並び、巡礼者にとっての象徴的な場所となっています。

文化財

海岸寺は、以下の重要な文化財を所蔵しています。

重要文化財(国指定)

木造千手観音立像

海岸寺に安置されていた木造千手観音立像は、1931年に盗難に遭い現在は失われています。この観音像はかつての海岸寺の象徴でもあり、多くの信仰を集めていました。

御詠歌

海岸寺には御詠歌が残されています。

海岸寺の御詠歌

補陀落は余所にはあらじ津金なる大悲も深き海の岸寺

この御詠歌は海岸寺の深い慈悲を象徴し、信仰の念を表現しています。

巡礼の道

海岸寺は甲斐国三十三観音霊場および甲斐百八霊場の一部として、巡礼者に親しまれています。

甲斐国三十三観音霊場

甲斐国三十三観音霊場の第13番札所として、海岸寺は他の札所と共に信仰の道を形成しています。

前後の札所

第12番札所:金剛寺
第13番札所:海岸寺
第14番札所:長谷寺

甲斐百八霊場

甲斐百八霊場の第71番札所としても知られています。

前後の札所

第70番札所:正覚寺
第71番札所:海岸寺
第72番札所:清光寺

日本三津金寺

海岸寺は、日本三津金寺の1つとして数えられており、長野県立科町の津金寺、長野県佐久穂町の津金寺(千手院)と共に信仰のつながりを持っています。

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まとめ

海岸寺は、行基の創建から始まり、多くの歴史的な人物の手によって支えられてきました。その伽藍や文化財、観音堂の信仰など、長い歴史と共に地域の人々や巡礼者から愛されている寺院です。また、甲斐国三十三観音霊場や甲斐百八霊場に数えられる巡礼の地としても親しまれています。

Information

名称
津金山 海岸寺
(かいがんじ)

清里・小淵沢

山梨県