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平田家住宅

(ひらたけ じゅうたく)

平田家住宅は、山梨県北杜市小淵沢町にある古民家で、国の重要文化財に指定されています。この建物は、かつて平田家が暮らしていたもので、1992年に移築・復原され、現在は一般公開されています。その文化財指定名称は「旧平田家住宅」であり、地域の歴史や伝統的な建築技術を学ぶ貴重な資料となっています。

平田家住宅の概要

平田家住宅は、山梨県北杜市小淵沢町7761-4に位置し、広々とした敷地内に主屋、土蔵、納屋などが配置されています。この住宅はもともと17世紀後半に建てられたと推定されており、江戸時代には巨摩郡松向本村の名主を務める仁科家と交替で村の重要な役割を担ってきました。また、江戸時代には豪農としても知られており、下男・下女を置いていた記録もあります。

東向きに建てられた理由

平田家住宅は、東方の金峰山を信仰する伝統に従って、建物が東向きに建てられています。平田家は、武田信玄の家臣であった山田但馬守の末裔とされ、地域社会においても信仰心の篤い家柄として知られていました。

平田家の歴史

平田家は、17世紀以前から松向村で生活していましたが、水利の便を考慮して現在の地に移り住んだとされています。この移住は寛文6年(1666年)以前と考えられており、以来、代々の当主が「平田長左衛門」を襲名し、地域社会での活動を続けてきました。

建築と改造の歴史

平田家住宅の主屋は17世紀後半に建てられたとされ、何度かの改造が行われてきました。最初の改造は18世紀初頭に行われ、その後、文化・文政期(1804年~1830年)には大規模な改造が実施されました。この改造では、間取りが大幅に変更され、馬屋が作り直されました。幕末や明治、昭和の時代にも改造が行われ、平田家住宅は時代の変化に応じて姿を変えてきました。

建築の特徴

平田家住宅は、地域の気候や生活に適した構造を持っており、特に以下の特徴から、古民家としての資料的価値が高いとされています。

茅葺屋根と石場建て

この住宅の屋根は茅葺で、入母屋造となっています。北杜市地域では茅が豊富であるため、茅の厚みが増し、室内の温度を保つ役割も果たしています。また、平田家住宅は「石場建て」の農家で、座敷柱を礎石上に立てる伝統的な構法が採用されています。

土間と居室の分割

住宅の内部では、土間が全体の約6割を占めており、土間の左半分は地炉とクド(かまど)を備えた作業空間として、右半分は馬屋として使用されました。また、土間周辺の柱には防水性や防蟻性に優れたクリ材が使用されており、馬屋に最適な素材となっています。

閉鎖的な構造と東向きの配置

平田家住宅は窓や入口が少なく、閉鎖的な構造が特徴です。さらに、東向きに建てられており、古くから信仰してきた東方の金峰山への敬意が示されています。間口は約20メートル、梁間は約11メートルで、広々とした空間にさまざまな部屋が配置されています。

移築と復原の経緯

平田家住宅は、1988年に山梨県指定文化財に指定されたのち、翌1989年には所有者から小淵沢町に寄贈されました。そして、1989年9月には国の重要文化財に指定され、1992年12月に移築・復原が完了しました。この移築に際しては、発掘調査も行われ、建築当初の状態が確認されました。

平田家住宅の部位と民具

平田家住宅内には、シモザシキ(下座敷)やイロリ(土間)、馬屋などの部位があり、地域の生活様式を伝えています。また、民具として荷縄作り機や蓑笠、藁打ち機などが展示されており、当時の農村生活を知ることができます。

シモザシキ(下座敷)

シモザシキは、主に家族や来客のための居住スペースであり、中央にイロリが配置されています。イロリは暖房だけでなく、調理や照明の役割も果たしていました。

土間と馬屋

平田家住宅の土間は広く、馬屋としても使用されました。土間周りの柱にはクリ材が使われており、馬がいる環境に適した素材が選ばれています。さらに、土間には囲炉裏が設置され、茅に害虫が付かないように常に火が燃やされていました。

利用案内

平田家住宅は現在、一般公開されており、歴史的な建築と当時の生活を学ぶための貴重な施設となっています。以下に利用案内を示します。

所在地

住所: 山梨県北杜市小淵沢町7761-4

開館時間と休館日

開館時間: 9:00 - 17:00(最終入館は16:30まで)
休館日: 火曜日・水曜日、祝日の翌日、12月28日から翌年1月4日

入館料

一般: 210円
小中学生: 100円

Information

名称
平田家住宅
(ひらたけ じゅうたく)

清里・小淵沢

山梨県