泉龍寺は、山梨県北杜市高根町村山にある曹洞宗の寺院です。正式な山号は「雨寶山」であり、平安時代に真言宗の寺院として創建され、後に曹洞宗に改宗されました。本尊は薬師瑠璃光如来で、古くから信仰を集めてきた寺院です。
泉龍寺は、平安時代に沙門覚海阿闍梨が弟の蓮茂のために建立しました。当時は「瑞雲山西照院」と称され、山岳信仰の基幹寺院として繁栄しました。
戦国時代末期、武田氏の滅亡後に豊臣秀次の遺臣である池田某が清光寺の第八世住職・樹察和尚に従い出家。玄朔と名乗り、慶長年間に西照院を曹洞宗に改宗しました。この時、寺号を「泉龍寺」、山号を「雨寶山」に改め、再興に尽力しました。
慶長8年(1603年)、徳川家康より寺院と境内地に対し黒印状が与えられ、後日朱印状が発給されることが約束されました。この寄進によって泉龍寺はさらなる発展を遂げました。
江戸時代末期、度重なる火災に見舞われ、泉龍寺は本堂、山門、土蔵などを失いました。その後、1880年(明治13年)に長沢地区の民家を購入・移築して庫裡とし、さらに1984年(昭和59年)には本堂や位牌堂、玄関を新築し、現在の形に復興されました。
1984年(昭和59年)に建立され、銅板葺きで8間×7間半の広さを持ちます。寺院の中心的な建物として、参拝者の祈りの場となっています。
本堂と同年に建立され、銅板葺きの3間×3間の建物です。先祖供養や位牌の安置が行われる神聖な空間です。
1984年に建立され、銅板葺きの5間半×2間の広さを持つ玄関部分です。参拝者を迎える場所として整備されています。
1880年に移築された瓦葺きの建物で、12間×6間の広さがあります。寺院関係者の生活空間および寺務を執り行う場となっています。
同じく1880年に移築された小庫裡は、瓦葺きで4間半×6間半の広さがあります。寺務補助の場として使用されています。
寺院の入り口にあたる山門で、境内への入口として風格を保っています。
トタン葺きで5間×3間の広さを持つ土蔵。寺院の貴重な資料や道具が保管されています。
1984年9月に建立され、寺院の再興を記念した碑です。訪れる人々に寺の歴史と復興の足跡を伝えています。
1985年(昭和60年)に泉龍寺の七世住職蕪庵無畏による句碑が本堂の前に建立されました。句碑には「鶯や人まねきつゝ忍び阿し」の句が刻まれています。
供養塔や句碑が境内に建立され、歴代住職や信徒の供養が行われる場所となっています。訪れる人々は、過去の人々の供養に触れながら祈りを捧げることができます。
泉龍寺の境外地にある厩尻観音堂は、桃山時代の建築と推定されています。この観音堂では、毎年春の彼岸に大般若経を転読し、伝統的な法要が執り行われています。観音堂は泉龍寺の所有で、地域住民が維持管理や行事を行い、地域の信仰の場となっています。
東竜寺はかつて泉龍寺の末寺として高根町村山西割に位置し、檀家39戸とともに泉龍寺に併合されました。現在も東竜寺尾根の住民が夏祭りなどの行事を行い、地域の信仰を支えています。
泉龍寺では以下の年中行事が行われ、多くの参拝者が訪れます。
新年の初詣が行われ、元旦には多くの参拝者が訪れます。祈祷やお守りの授与が行われ、幸運と健康を願う多くの人々で賑わいます。
泉龍寺へは、JR中央本線の長坂駅から車で約10分でアクセスできます。周辺には自然豊かな風景が広がっており、訪れる人々は静寂な中で信仰の場に触れることができます。