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松雲寺

(しょううんじ)

松雲寺は、山梨県韮崎市中田町中條にある曹洞宗の寺院です。冨栄山(ふえいさん)を山号とし、本尊として聖観音菩薩を安置しています。この寺は塩川筋霊場の二十八番に数えられ、また、近隣の昌福寺を末寺としています。

歴史

創建と徳川家の寄進

松雲寺は天正9年(1581年)2月に、賢能和尚によって創立されました。徳川家康により慶長8年(1603年)3月朔日付で合二石四斗九升の寄進を受け、名刹としての地位を確立しました。この寄進の記録は「徳川家四奉行連署寺領寄進状控え」に残されています。

松雲寺塁と天正壬午の乱

天正10年(1582年)に発生した「天正壬午の乱」では、武田氏の旧領を巡り徳川家康と後北条氏が対峙しました。徳川家康は韮崎市中田町中條の新府城を拠点とし、松雲寺塁を含む小田川沿いの逸見路一帯に布陣しました。この際、松雲寺塁や周囲の水上氏屋敷も徳川方の陣地として使用されたと考えられています。

教育機関としての松雲寺

1873年(明治6年)7月、松雲寺を仮校舎として中田尋常小学校が設立されました。その後、1889年(明治22年)に新校舎が落成し、1908年(明治41年)には230坪の運動場が新設されました。校舎の配置は学年ごとに異なり、低学年は本堂の南側に、高学年は本堂の西南に位置する新校舎に配置されていました。

学校運動場と植栽

運動場にはポプラや桐が植えられ、子供たちが遊ぶ場となっていました。松雲寺が学校教育の中心地としての役割を担っていたのは1932年(昭和7年)までで、この年に新校舎が建設され、学校機能がそちらに移転しました。

阿弥陀堂の所有

明治五年の資料によると、松雲寺は阿弥陀堂を所有していたことがわかっています。この阿弥陀堂の存在は、松雲寺が地元において宗教施設としてだけでなく、地域の信仰の場としても重要な役割を果たしていたことを示しています。

松雲寺の見どころ

松雲寺塁跡

松雲寺の境内一帯には、かつての松雲寺塁が築かれていました。この塁跡は歴史的な価値が高く、特に戦国時代における武田氏と徳川氏の対立を物語る遺構として、訪れる人々に歴史の深さを感じさせます。

阿弥陀堂

松雲寺に隣接する阿弥陀堂は、地域の人々の信仰の対象として親しまれてきました。この阿弥陀堂は明治時代の資料にもその存在が記録されており、今でも地域の歴史を感じられる場所として多くの人々に訪れられています。

歴史的な資料と展示

松雲寺には、江戸時代からの寄進状などの歴史的な資料も保管されています。これらの資料は、徳川家による寄進や天正壬午の乱における地域の歴史を物語っており、訪れる人々に貴重な歴史的な背景を提供しています。

アクセス情報

松雲寺は、韮崎市中田町中條に位置しています。訪問を計画される際は、韮崎市の観光案内所や地図を参考にしてアクセスするのが便利です。また、周辺には歴史的な名所も多く、あわせて訪れることで地域の歴史と文化をより深く感じることができます。

住所

山梨県韮崎市中田町中條

観光案内

観光の際は、地元の観光ガイドや資料館の展示を活用すると、松雲寺とその周辺地域の歴史をより深く理解できます。また、寺院周辺の景観も美しく、歴史的な雰囲気を楽しむことができます。

松雲寺は、歴史的な背景と地域の人々との関わりが深い寺院です。その歴史と文化的価値を感じることで、訪れる人々に深い印象を与えるでしょう。

Information

名称
松雲寺
(しょううんじ)

清里・小淵沢

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