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八幡神社(南アルプス市上宮地)

(はちまん じんじゃ)

八幡神社は、山梨県南アルプス市上宮地にある歴史的な神社です。神社は南アルプス市の高台に位置し、周囲の自然や歴史的背景が訪れる人々を魅了しています。

概要

八幡神社は、甲府盆地や富士山を望む見晴らしの良い場所に鎮座しており、自然豊かな田畑の中にあります。神社の境内には、新たに建て替えられた拝殿と本殿が立ち、清らかな雰囲気を保っています。近隣には塩沢川と深沢川が流れ、地域の美しい景観を形成しています。また、東側には山梨県道110号桃園市之瀬線が南北に通っており、アクセスも良好です。

神社の周辺施設

八幡神社の周辺には、歴史的な寺院である曹洞宗の「伝嗣院」や、地域の信仰の一端を担う「死霊八幡霊神」が存在します。これらの施設とともに、八幡神社は地域の歴史と文化を支えてきました。

八幡神社の歴史

創建の由来

八幡神社の創建年代ははっきりと分かっていませんが、『甲斐国志』や『中巨摩郡志』によると、平安時代後期に甲斐源氏の一族である小笠原長清が宇佐八幡宮を勧請して建立したとされています。また、『甲斐国社記・寺記』にも「鎮座の儀は判らないが小笠原信濃守長清勧請す」と記されており、平安時代からの長い歴史を持つ神社であることが伺えます。

上宮地・下宮地地域の歴史的背景

八幡神社が所在する「上宮地」は、南東に小笠原・山寺を挟んで「下宮地」地区と隣接しています。この一帯は中世に「宮地」と総称されており、特に下宮地にある三輪神社(現在の神部神社)が地域の名前の由来とされています。『甲斐国志』によれば、この「宮地」という地名は神部神社にちなむものだとされており、歴史的にも重要な地域といえます。

御幸の伝統行事

江戸時代には、八幡神社と下宮地の美和神社の間で「御幸」という行事が行われ、地域の伝統行事として大切にされてきました。この行事は、甲府盆地東部で行われる「東御幸」に対して「西幸」と称され、地域の人々に親しまれてきた歴史的な催しです。

八幡神社の建造物

歴史的な棟札

八幡神社には、1544年(天文13年)や寛永15年(1638年)の造営の際に掲げられた棟札が残されており、江戸時代から続く神社の歴史を物語っています。この棟札は、当時の建築技術や信仰心を伝える貴重な遺産です。

三輪山宮社の遷座

嘉永年間(1848年-1854年)には、三輪神社の山宮であった「伝嗣院」より三輪山宮社が八幡神社に遷座されました。この遷座は、神社の信仰が広がり、地域の神社として重要な役割を果たしてきたことを示しています。

八幡神社の祭神

主な祭神

八幡神社の祭神は、「誉田別命(応神天皇)」と「大物主神」とされています。誉田別命は武神として信仰され、武家を中心に崇敬されてきました。また、大物主神は大和国の三輪山の神とされ、農耕や商業など庶民生活に関わる神として信仰されています。

関連項目

伝嗣院

伝嗣院は、八幡神社の近くにある曹洞宗の寺院で、神社と同様に地域の歴史と密接に関わっています。伝嗣院もまた、上宮地地域の歴史を語る上で重要な施設です。

死霊八幡霊神

死霊八幡霊神は、地域の特別な信仰の対象であり、八幡神社とともに地域の人々の精神的支柱となっています。

小笠原長清

八幡神社を創建したとされる小笠原長清は、甲斐源氏の一族で、平安時代から鎌倉時代にかけての有力な武士です。八幡神社の由来に関連する重要な人物です。

Information

名称
八幡神社(南アルプス市上宮地)
(はちまん じんじゃ)

南アルプス・身延

山梨県